しにたい
2006年3月14日しにたいのは誰だ
誰がしにたいのだ
しにたいならころしてやろう
しの代償は何もない
ただそこに横たわるしたい
永遠に横たわるしたい
それは風景であって
他人からすれば鑑賞物であって
感情は常に漂い
やがて薄雲の彼方へと散り行くばかり
感情の霧の中では何もかもが許されて
全てが地に沈むその瞬間まで
最後の罪を滅ぼすその瞬間まで
ただ笑顔で
いるだけでいい
誰がしにたいのだ
しにたいならころしてやろう
しの代償は何もない
ただそこに横たわるしたい
永遠に横たわるしたい
それは風景であって
他人からすれば鑑賞物であって
感情は常に漂い
やがて薄雲の彼方へと散り行くばかり
感情の霧の中では何もかもが許されて
全てが地に沈むその瞬間まで
最後の罪を滅ぼすその瞬間まで
ただ笑顔で
いるだけでいい
追い込む
2006年3月8日自分を追い込む
自分の人生を懸けて
良い意味のプレッシャーが掛かる環境に自分を置く、意識的に
責任を持って何かをする
その中でしか人は成長できない
自分はこれで生きていく
これがあるから自分がある
毎日地道にやるべきことをやる
考えない意識しないでやって行く
寒いとかつらいとか面倒くさいとか
それらは成長できるチャンス
平常心でそれらをやる
心のつぶやきは自分の経験が基になっているわけではない
無意識のうちに自分のいる環境と比べているだけだ
マンションが一番快適なのは間違いない
外に一歩でもでればその瞬間に順応してしまうのだから
テレビで観れるから雑誌で読めるから
しなくていいのだ、何も
そんなの嘘に決まっている
テレビを観た後になにが残るのか
中途半端な満足感だけだ
それは10分で消え失せる
自分の人生を懸けて
良い意味のプレッシャーが掛かる環境に自分を置く、意識的に
責任を持って何かをする
その中でしか人は成長できない
自分はこれで生きていく
これがあるから自分がある
毎日地道にやるべきことをやる
考えない意識しないでやって行く
寒いとかつらいとか面倒くさいとか
それらは成長できるチャンス
平常心でそれらをやる
心のつぶやきは自分の経験が基になっているわけではない
無意識のうちに自分のいる環境と比べているだけだ
マンションが一番快適なのは間違いない
外に一歩でもでればその瞬間に順応してしまうのだから
テレビで観れるから雑誌で読めるから
しなくていいのだ、何も
そんなの嘘に決まっている
テレビを観た後になにが残るのか
中途半端な満足感だけだ
それは10分で消え失せる
何故
2006年2月27日幸せってなんだろう
僕は幸せを知らない
幸せは量か、質か、それすらもわからない
生きている僕の何か
人と比べて意味はない
余裕ってなんだろう
余裕は心の余裕
なんだろう余裕って
知らないから僕は地べたを這い蹲ることもできなくて
ただ ただ 寝るだけ
寝る前に思うことはなくて
朝起きるとその瞬間に溜息が出る
何故生きているのだろう
否定したいすべてを
否定
僕は幸せを知らない
幸せは量か、質か、それすらもわからない
生きている僕の何か
人と比べて意味はない
余裕ってなんだろう
余裕は心の余裕
なんだろう余裕って
知らないから僕は地べたを這い蹲ることもできなくて
ただ ただ 寝るだけ
寝る前に思うことはなくて
朝起きるとその瞬間に溜息が出る
何故生きているのだろう
否定したいすべてを
否定
無理しても
2006年1月24日仕様がない。
今できない事は必要な準備ができていないからできないのだ。
できなかったこと、それはその時に必要なキャパがなかったからできなかった。
人生における重要な事柄はは他人と比べても仕方がなく、また比較したところで、それは視野狭窄の中でしか認識できない。
もし、比較したいのであれば、自分自身を成長させ、この広大な世界を広大だと感じられるようになった時、必然的に比較されるべきなのだ。
それはいわば自己表現。
新しい世界に投げ出された時、自分の存在はキャンバス上で舞い踊る筆となる。
今できない事は必要な準備ができていないからできないのだ。
できなかったこと、それはその時に必要なキャパがなかったからできなかった。
人生における重要な事柄はは他人と比べても仕方がなく、また比較したところで、それは視野狭窄の中でしか認識できない。
もし、比較したいのであれば、自分自身を成長させ、この広大な世界を広大だと感じられるようになった時、必然的に比較されるべきなのだ。
それはいわば自己表現。
新しい世界に投げ出された時、自分の存在はキャンバス上で舞い踊る筆となる。
満たされる
2006年1月19日人生において満たされる時が来ることなど、ない。
一日の終わりに眼をつむり、もたらせれたものを、自分の中で確かめて、巡らせて、身体を床に横たわらせたその後に、意識の底に沈みながら、ゆっくりと消化していくのだ、というただそれだけ。
指でたどりながら感じるその感覚は、今日という日の記憶と人の想いを一瞬鮮やかに彩るが、またすぐになだらかなリズムへと僕の意識を移らせる。
流れるようなピアノの音色は、リズムを刻むバスの上を螺旋状に滑り、僕は煌めく電子音に憬れる。
波の囁きと、部屋を包む気だるさ、熱と、光と。
一日の終わりに眼をつむり、もたらせれたものを、自分の中で確かめて、巡らせて、身体を床に横たわらせたその後に、意識の底に沈みながら、ゆっくりと消化していくのだ、というただそれだけ。
指でたどりながら感じるその感覚は、今日という日の記憶と人の想いを一瞬鮮やかに彩るが、またすぐになだらかなリズムへと僕の意識を移らせる。
流れるようなピアノの音色は、リズムを刻むバスの上を螺旋状に滑り、僕は煌めく電子音に憬れる。
波の囁きと、部屋を包む気だるさ、熱と、光と。